JPモルガン、ソニーというエリートキャリアを経て、アメリカでゼロから会社を立ち上げた男が気づいた本当のやりがいとは?

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最初の3ヶ月は仕事が無かった

編集部:1人でTakeoff Pointを始めた時は苦労はあったんですか?

石川さん:最初は大変でした。こっちに来て会社をスタートした時は、オフィスにデスクと椅子と自分のPCしかなくて。そして、アメリカで会社とビジネスを始めるためにはいくつもの法的手続が必要で、契約書類を沢山作る必要があったんですが、そんな手続きやったことがないからやり方がわからない。分からないことは自分で調べるしかなく、「会社の作り方」などのキーワードをひたすらグーグル検索していました(笑)

編集部:なるほど(笑)

石川さん:それで書類が出来て、いざサインとなっても、次はプリンターが無いと気づいて、プリンターを買ってきて。そしたら今度は「待てよ、この領収書はどうすればいいんだ?」と思って、そこで経理システムが無いと気づいて、、、みたいな感じでやっていました。

編集部:最初はもうほんとにゼロからだったんですね。すると、最初はビジネスを伸ばすというよりは仕事環境を整備するところに時間がかかったんですか?

石川さん:そうです。だから私はこちらに来てからの最初の3ヶ月間はお金になる仕事が無かったんです。大企業でどこかに異動するとしたら、普通は前任者がいて、前任者からの引き継ぎありますよね? でもそういうのも何もないから、メールもほとんど来ない。シリコンバレーに知り合いもいない。

売上もないから最初の3ヶ月間は銀行口座から自分のお給料と自分が使った分のお金が減るのだけが見えるわけですよ。そうすると、「この会社何ヶ月後に潰れるな」っていうのもわかるけど、何をして良いのかわからない。10月に来て、12月ぐらいまで完全に病んでいました(苦笑)

編集部:それはなかなかハードですね、、、
3ヶ月病んでた期間から復活したのは何かきっかけがあったんですか?

石川さん:一番最初は、自分には会社を立ち上げるノウハウが無いから、とにかく出来る人にやり方を聞かないとダメだと思ったことです。最初の3ヶ月間はインフラと戦略作りとか色々と考えてはいたんですが、考えているだけじゃだめで、自ら動かないと変わらないなって気づいて、年明けくらいから色々なセミナーやイベント、ミートアップに積極的に出ていくようにしました。

編集部:おぉー、まずは人に会おうと。

石川さん:そうですね。すごく印象的だったのは、ちょうどその頃、娘の小学校のイベントに顔を出したことがあって、その時偶然隣に座った娘の友達のお父さんがスタートアップをやっている人だったんですよ。

編集部:なんかシリコンバレーあるあるって感じですね(笑)

石川さん:それで、恥を捨てて、どうすればいいか分からないことを全部さらけ出して相談したら、その人がすごく親身になって考えてくれたんです。例えば「人材の採用の仕方が分からない」と聞いたら、その人が「誰々を紹介してやるよ」って言って、全然知らない人を紹介してくれて。その後も、給料水準や決め方がわからないって言ったら、「そんなの全部聞けばいいじゃん!」って言われたんです(笑)

編集部:なるほど、それで開き直ったというか(笑)

石川さん:それからは、プライドもなく「とにかく人に頼ろう」と思って、出会った人には分からないことを聞きまくって、シリコンバレーのスタートアップの殆どが使っているツールを片っ端から教えてもらって、次々にTakeoff Pointで導入していきました。

編集部:やはり人との繋がりが大事なんですね。

石川さん:大企業にいると、自分の会社をどうすればいいかなんて他の人に悩み相談しないじゃないですか? でも、会社もビジネスの作り方も、全部他の人に聞くっていうのは立派なやり方ですし、下手に自分で考えて何も出来ないより、すぐに動くスピードの方が重要なんだというのを、最初の数ヶ月で学びました。

編集部:スピードの重要さはシリコンバレーにいると強く感じる部分ですよね。

石川さん:そうですね。1年目は、毎日バタバタしていて、少しでもイレギュラーなことが起こると、あたふたして胃が痛くなったりしていたんですが、今はオペレーションも順調で、社員もビジネスパートナーも増えて、会社の「立ち上げ段階」から「発展段階」にギアをシフトしている時で、自分達で色々と考えてトライするフェーズに変わってきています。

編集部:今の段階に至るまでの立ち上げはすごく大変だったと思うんですけど、その分やりがいもあったんですか?

石川さん:最初はほんとにゼロからで大変だったけど、私は今までのキャリアの中で、ここに来てからの仕事が1番面白いです。

編集部:へぇ~、そうなんですね!

石川さん:それは、ここでの仕事が自分で1番成長しているって感じられるからです。出来ないことが出来るようになるのが成長じゃないですか? 最初は出来ないことばかりだったので、自分で成長を感じられるんです。少しずつ前進しながら、自分の力でビジネスを発展出来ることに生きがいを感じられるようになってきています。

JPモルガンからソニーへ転職

編集部:ここからは過去のキャリアのお話を伺っていきたいのですが、1社目が投資銀行のJPモルガンにいらっしゃったということですが、どういうお仕事をされていたのですか?

石川さん:ソニーに入社する前は、投資銀行で主にクロスボーダーのM&Aや資金調達のアドバイザリー業務をやっていました。さまざまな業界のトレンドやニュースを追いながら、どうやったらクライアントが会社として良くなるかを常に考えていました。

編集部:その後、ソニーに転職されたのはどういう経緯だったんですか?  それもソニーショックの直後ですよね?

ソニーショックとは? 
2003年4月24日のソニーの決算発表を受けた株式市場の動揺のこと。2003年1-3月期の大幅な赤字と翌決算期の3割減益見通しを発表したことで、翌日から2営業日にわたりソニー株はストップ安を付けるとともに、ハイテク株を中心に売りが増加して市場全体に波及し、4月28日には日経平均株価がバブル崩壊後の最安値7607円まで値下がりした。 – 経済用語集

石川さん:当時、私は日本のテクノロジー業界を担当していて、ソニーは私のクライアントだったんです。ちょうど3年ほど投資銀行で働いて、次はどこかの事業会社で1つの業界、1つの会社に腰を据えてビジネスをより深く経験して、意思決定をするクライアント側に立ちながら「自分ゴト」として会社を良くしていきたいと思っていたんです。

そんな時にソニーショックが起こって、これからソニーは大きく変わっていくだろうなぁと感じたんです。事業会社に入るのなら、これから大きく変わるところで、会社を変えていく中に入りたいなと思って、ソニーに転職しました。

編集部:良い意味で逆張りの発想というか(笑) 最近のソニーは、業績も調子が良いイメージがありますが、ソニーショック以降も暫くは業績不振と構造改革が続いていましたよね?

石川さん:2003年のソニーショック以降も、業績不振が続き、リストラを含む構造改革が最近まで続いていたのは事実です。2003年に日経ビジネスから「背水のソニー」、2005年には週刊ダイヤモンドから「ソニー大混乱」、2012年には「さよなら!伝説のソニー」、2014年には「ソニー消滅!」と書かれたビジネス誌が次々に出版されていったのは、しっかり覚えています。

しかし、今は業績も回復してきて、JPモルガンからソニーに転職してきた当時の印象と15年近く経った今では、マネジメントスタイルも社風も大きく変わったと個人的には思っています。

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1990年6月8日生まれ。埼玉県川口市出身。
2013年、一橋大学商学部経営学科卒業。株式会社SpeeeにてSEOやWebマーケティングのコンサルティング等に3年半従事したのち、イノベーションの最先端であるシリコンバレーでチャレンジしたいと考えて渡米。現在は、UC Berkeley Extensionにて経営とプロジェクトマネジメントを専攻。
座右の銘は「やらぬ後悔よりやった後悔」。

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