キャリア、結婚、出産…男女共同参画社会の実現に向け、女性の社会進出を促進する動きがある一方、現実的にはまだまだ課題も多いといえる。
国家が率先して変えていかなければならないものの、個人レベルでは具体的にどのように行動していけば良いのか手探りな状態でもある。
しかし、結婚や出産、キャリアも両立している女性がいる。
『Scrum Ventures』でVP of Marketing / Operationsを務める三浦茜さんだ。今日はあかねさんに、現在の仕事のみならず、「考えすぎずにまずは一歩踏み出してみることの重要性」についてもお伺いした。
▼本記事の内容 [全3ページ]
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[Page 1]
・今されていること
・ネットとの出会い / 電波少年に出演
・社長という仕事
[Page 2]
・渡米初期 / 英語に関すること
・人との繋がりが仕事に繋がる
[Page 3]
・日米の文化の違いと子育て
・今後のキャリア観 / メッセージ
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三浦 茜 (Miura Akane)
上智大学経済学部経営学科卒業。29歳でネットメディア企業「まぐまぐ!」の代表取締役に就任。その後、日本で複数のWebサービスの立ち上げや運営に携わり、ライフハッカーでは起業家、精神科医、漫画家などにインタビューをするライターとしても活躍。2014年に、結婚を機に渡米し、現在はScrum VenturesのVP of Marketing / Operationsを務める。「プロダクトハンターあかねのネタ帳」や「BE MAGNETIC!」の他に、日経MJやマネーボイスなどに記事を寄稿している。
今されていること
編集部:今はどんなことをされているのですか?
あかねさん:最初に入社したときはオフィスマネージャーだったんですが、事業が大きくなっていく中で業務範囲も拡がり、現在は日本向けのマーケティングと日本のリミテッドパートナー (投資家)の対応、人事・総務などのバックオフィス業務を担当しています。ただ去年の10月から産休という形で週3日だけリモートでチームをマネージする形で働いています。
編集部:リモートでチームとの繋がりを保ちつつ、仕事をしている感じですね。
あかねさん:Scrum Venturesは投資以外にも「Scrum Studio」という日系企業のオープンイノベーションを支援するようなプロジェクトも行っていて、パナソニックさんとジョイントベンチャー「BeeEdge」を作ったり、電通さんと「SPORTS TECH TOKYO」というスポーツ系スタートアップ向けのアクセラレータープログラムを一緒に運営したりしています。
マーケティングという点では、日本の企業が顧客になるので「シリコンバレーのVCといえばScrum Ventures」となるように色々と仕込んでいます。例えば、シリコンバレーのトレンドを自社ブログで発信したり、東京とサンフランシスコで「Tackle!」という勉強会を企画したり、日経電子版といった日本のメディアにスタートアップ情報を寄稿したりしています。
あとは、年に一度アメリカから日本にスタートアップを連れて行って、「Scrum Connect」というイベントを行っています。去年はオープンイノベーションをテーマに開催し、400人弱の方にご参加いただきました。
編集部:マーケティングとなるとこちらのスタートアップの誘致も大事になってくると思うのですが、普段の言語はどういう感じで使い分けているんですか?
あかねさん:去年からアメリカ向けのマーケティングメンバーが加わったので、オフィスにいるときやチームのミーティングは基本的に英語なんですが、私がやりとりする相手は日本の方が多いので6〜7割は日本語で仕事しています。
ネットとの出会い / 電波少年に出演
編集部:それでは過去についてお聞きしたいと思います。大学を卒業後、ネット企業に就職されていますが、就活の時は何か軸などあったのですか?
あかねさん:大学を卒業後、「まぐまぐ!」というメルマガを発行するネットメディアの会社に就職したのですが、昔から小説や漫画といった創造物に接していて助けられていたので、出版社に行って編集の仕事に就きたいなと思っていました。ただ、就活のときに明確な軸があったわけではなく、今考えるともう少し考えても良かったなと思いますね。
編集部:メディア系のネット企業ということはやはり昔から書くのが好きだったんですね。
あかねさん:実は文章を書くのは好きではなかったんです。情報として受け取るのは好きなんですが、今でも書くのはそんなに好きじゃなくて、ただ、今は書いた方がメリットが大きいので書いているという感じですね。
編集部:「プロダクトハンターあかねのネタ帳」やブログなどで情報発信をされていたのでてっきり文章を書くのが好きなのかと思っていました。では、逆に「まぐまぐ!」で働こうと思った決め手は何だったんですか?
プロダクトハンターあかねのネタ帳では、
新しいサービスやプロダクトについて発信されている。
あかねさん:当時はインターネットが流行り出して、ネットサービスが続々と立ち上がってきた頃だったんですね。大学の頃は実はゴルフサークルに入ろうと思っていたんですけど、ゴルフクラブが20万円くらいするので、それならパソコンを買おうと思い、パソコンを買ってずっとパソコンをいじってました。
そのまま「パソコン / インターネットって面白いし、ネットメディアの会社に入ってみるのも面白そうだな」と思い入社しました。なので、「インターネットってわくわくするな!楽しそうだな!」くらいの感じで。
編集部:そうだったんですね。なんでも当時は「電波少年」にも出演されていたとお伺いしました。
あかねさん:今振り返ってみると20代の頃は無鉄砲に色々とやっていましたね。あまり深く考えていなくて、目の前にある楽しそうなものを勢いで追いかけていたと思います。それに、若いからある意味そんなに挫折もしてないし、自分だったら何でもできるみたいな変な自信がありましたね(笑)
また、小さい頃から伝聞より経験で話す人になりたいと思っていて、それも相まって経験できることは全部やろうと思っていました。
編集部:その中で見えてきたものなどありましたか?
あかねさん:色々と勉強にはなったと思います。電波少年は、24時間自分の生活が衛星放送されていて、番組の掲示板に視聴者がコメントして、それを番組内に取り入れるといったインタラクティブなものだったんです。なので、アンチも生まれて一時期は2chとかですごく批判されたりもしました。
その時はだいぶ病んでたと思いますが、見ず知らずの人に嫌われる経験ってなかなかできないじゃないですか?なので、いい経験になりましたね(笑)
編集部:めちゃくちゃポジティブですね!
あかねさん:今だからそう思えますが、当時は、24時間カメラが回って、ずっと人に見られている状態って尋常じゃないので、ストレスも溜まり、最終的には自分からやめました。この経験が良かったのかはわかりませんが、そういう異常な経験をして得るものはあったと思います。
社長という仕事
編集部:その後、「まぐまぐ!」で社長になられていますが、これはどういう経緯だったんですか?
あかねさん:新卒で入社して、ユーザーサポートを1年担当した後、まぐまぐのオフィシャルメルマガの編集に携わりました。その後、広告を販売してくれる代理店とのやりとりも行うようになりました。やがて部署を任せてもらえるようになり、編集と広告関連の売上だけでなく、有料メルマガの部門にも携わるようになりました。
徐々に掌握する枠組みが大きくなっていき、取締役に就任した際に社長就任を打診されました。
ただ、最初に打診をされてから半年くらいすごく悩みましたね。何を悩めばいいのかすらわからなくて、「何がどうなったら”Go”で何がどうなったら”ダメ”」という選択肢を作ることすらもわからない状態でした。
編集部:最終的に社長を引き受けたのは何が決め手だったんですか?
あかねさん:社長就任を打診されてから、あらゆることを社長という視点で見るようになり、「この会社でいろいろなことを実現したいなら社長になるのがいいかもしれない」と思うようになってました。そして色々と悩みましたが、提供しているサービスも会社のメンバーもすごく好きだったので、最終的には「自分が社長になって会社を動かしていこう」と引き受けることにしました。
ただ、頑張るだけでは何事もうまくいかないというか、どうしようもないこともたくさんあり、結果として1年くらいで退任することになりました。
編集部:詳細は編集上カットしますが、色々とあったわけですね。ちなみに社長を退任して会社をやめる時に次のことは考えていたんですか?
あかねさん:何も考えられないままやめましたね。社長だった時は毎日張り詰めている日々だったので、無職になって、やってみたいと思っていた「山手線に乗って一周してみる」とか「浅草演芸ホールで1日過ごしてみる」とか「ガンダムを全部見る」なんてことをしてました(笑) 。最初は働かなきゃと思っていましたが、3ヶ月くらいすると結構だらけてきてしまい…
編集部:焦燥感が少しずつ薄れてきてしまったんですね(笑)
あかねさん:そうなんです(笑) でもそんな中、もともと「まぐまぐ!」のときに取引先だったベネッセに、知人の繋がりで紹介していただき就職が決まったという感じです。
編集部:人との繋がりで次の就職先をゲットしたんですね。そこではどんなことをされていたんですか?
あかねさん:女性、特にママ向けメディアの部門で、ウェブ周りの仕事を5年間していました。ECサイトの運営から始まり、ベネッセが運営している女性向けコミュニティ「ウィメンズパーク」を運営する部署、ネット事業を強化するための新規事業企画の部門で働いていたりしましたね。なのでずっとネットに関することをしてきました。
編集部:その当時のキャリア観はどういうものだったんですか?
あかねさん:多分、早く結婚したいなと思ってましたね(笑)。30歳になっちゃったなくらいの感じで…働いていたいとは思っていたけど、そんなにバリバリ働きたいとも思っていなかったと思います。
編集部:では海外に行こうみたいな考えはそこまでなかったんですか?
あかねさん:海外に行こうとは思ってなかったですね。できれば、英語も話さないで生きていきたいと思っていたので(笑)
SiliconValleyWorkers 編集部です。シリコンバレーやサンフランシスコで働く日本人を取材して、キャリア観や価値観、シリコンバレーに来た経緯などを発信していきます。寄稿や運営に興味がある方は、Facebook、Twitter、Slackよりご連絡下さい!
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