ゼロからのアメリカ移住 ー 全てを失くして這い上がった男の「サバイブ論」

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9.11後にグリーンカードに当選する

編集部:そこからアメリカに来たのはどういう経緯だったんですか?

中島さん:もともとジャズをやっていたのでアメリカには興味があったんです。でも、ジャズやブルースは現地の生活から生まれる音楽なので「お客さんとしてアメリカに行ってもしょうがない」と思っていたんです。

そのときに、たまたまテレビで抽選で永住権(グリーンカード)が当たるという話を知って、その何ヶ月後かにニューヨークで9.11の同時多発テロが起きたんですね。

なので、変な話ですが「そんな時に誰も応募しないんじゃないか」と思い応募したら偶然にも当たったというわけです。

編集部:たしかに、そのタイミングで応募する人は少なそうですよね。

中島さん:でも、その年が例年で一番応募者が多かったみたいですよ。

編集部:え、そうなんですか?とはいえ、かなりの倍率だったんじゃないですか?

中島さん:日本人というカテゴリで括れば200倍とか300倍とかじゃないですか?でも、当たったのも何かの縁だと思い、パスポートはおろか、海外に行ったこともないし英語も喋れなかったのですが、とりあえず来てみたという感じです。

編集部:ちなみに、英語も喋れないのにアメリカ移住することに家族や周りから反対はなかったんですか?

中島さん:当時はまだ25歳で若かったですし、それまでもやりたいことをやってきていたので、「こいつがやると言ったらやるんだろうな」という感じで誰も驚かなかったですね。

大学の時もジャズ研がなかったので自分でゼロから立ち上げて、最終的に100人くらいのインカレまで大きくして、結構大きなライブイベントとかもやってたりしていたので。

英語力・人脈ゼロからのアメリカ移住

編集部:英語もできなくて、人脈もない状態でアメリカにきて大変じゃなかったですか?

中島さん:アメリカに来た初日から洗礼を受けましたね(笑) グリーンカードで入国すると入国管理官が仮のスタンプを押すのですが、入国管理側のミスで本来8桁のはずの移民番号が7桁しかなかったんです。

それで、それを訂正してもらうために渡米したその日にサンノゼの移民局に行ったら「今日は遅いから明日来い」と言われ、翌朝5時に行ったら「ここじゃできないからサンフランシスコに行け」と言われ、サンフランシスコでは「明日来い」と言われ、その翌朝5時に並んで直してもらうという。

しかも、直してもらったと思ったら、今度はソーシャルセキュリティナンバー(SSN)の性別が女性で登録されていて(笑)

編集部:もう初っ端から散々ですね(笑) ちなみに仕事はどうしたんですか?

中島さん:最初は英語が喋れなさすぎて、日本食レストランの厨房の下働きすら受からなかったです。

編集部:表に出ないところですらも…

中島さん:厨房の中って大体メキシカンの人たちがやっているので、最低限の英語が喋れないとコミュニケーションが取れないからダメなんですよね。

編集部:それ、どうしたんですか?

中島さん:当時住んでいたアパートの大家さんがポットラックパーティ(持ち寄りパーティ)を開いてくれて、たまたま近くのお寿司屋さんのシェフが来てたんですね。

僕は料理が趣味なのでローストポークを作って持って行ったら、そのシェフが「料理できるんだね。うちで働く?」と言ってくれて、それで上手いことお寿司屋さんの下働きの仕事をゲットしたんです。

編集部:どこで何があるか分からないものですね。

中島さん:そうですね。とはいえ、時給7ドル50セントくらいだったんですけどね(笑)

編集部:それ最低賃金じゃないですか?

中島さん:たしか日本人だからということで最低賃金+50セントつけてあげるって言われた気がします。ただ、それでも月1000ドル(およそ10万円)も稼げないくらいでした。

そこは本当にフェアなレストランだったので、新入りは新入りということで、僕はメキシコ人の下について、死ぬほど野菜を刻んだり、皿を洗ったり、床を掃除したりしてましたね。

編集部:とにかくやれることはやったと。

当時働いていたお寿司屋さんでの一コマ

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