ゼロからのアメリカ移住 ー 全てを失くして這い上がった男の「サバイブ論」

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この記事の所要時間: 1548

仕事・家族家…全てを失う

中島さん:それが今から10年前なんですが、それだと当然ダメですよね。結婚から10年ほど経っていたのですが、当時の奥さんから「別れます」と言われ、そのタイミングで仕事も辞めなくてはならなくなり、仕事も家族も家も失ったんです。

編集部:もう本当にゼロになってしまったと。

中島さん:「やばいな。家もないしどうしよう…」と思っていたんですが、惨めな状況の時って恥ずかしくて誰にも頼れないんですよね。

ただ、一人だけ大学発のスタートアップで一緒に働いてた同僚に相談したら、「部屋には泊められないけどガレージならいいよ」とのことで、他に選択肢もなかったので、ガレージにマットレスだけ置いて、そこで寝てました。

縦長のガレージだったから、一番奥にマットレスを置いて、そこに車がウィーンってバックしてくる感じで。しかも、2010年1月の年明けそうそうにね。

編集部:これまた寒い時期に…

中島さん:そして、彼から「僕らもこの家を引き払うことにしたから、あと2週間後には出ていって」と言われ、それまでに仕事と住むところを見つけないと本当にホームレスになってしまうと思い、アメリカに来てからの6年間で初めて死ぬ気で就職活動しましたね。

編集部:背水の陣だったわけですね。

中島さん:そのとき、生まれて初めて恐怖で膝が震えて立てなくなりました。そうなったのは一生であの時だけだと思います。

日本にいる親や親友に事情を説明したんですが、「そんな負け犬の状態で日本に帰って来ても、負けが膨らむだけだから這い上がるまで帰って来るな」と言われ、厳しいなぁと思いました。「帰っておいで」とか「お金送ろうか?」みたいなことを多少は期待していたので。

編集部:頼みの綱だと思っていた親や親友にも突き放されたわけですね。

中島さん:本当にお金もなくて、貯金もあと100ドル、200ドルくらいしかなかったんです。なので就職活動も本当に必死でしたね。新卒レベルの仕事に片っ端から30~40社応募して、かつ日系の人材派遣会社全てに登録して、たくさん紹介してもらったのですが1個も決まらなくて。

編集部:え、1つも引っかからなかったんですか?

中島さん:たぶん目が死んでいたんだと思います。あと、あまりにも状況が悪すぎて自己嫌悪が酷すぎたんですよね。だから面接に行っても「僕はもう本当ダメ人間なんですけど、もしチャンスがもらえたら本当に頑張ります」とか言っていたので。

編集部:たしかに、企業としてもそんな人取りたくないですよね(笑)

中島さん:しかも、お金がないから着てる服もひどかったですし、それに髪を切るお金もなかったので髪もボサボサだったんです。本当に当時の自分には良いところがなかったですね。僕だってそんな人きたら雇わないと思います。

やっと見つけた突破口 / 漆黒の黒

編集部:それはどうやって切り抜けたんですか?

中島さん:もう本当にやばいと思っていた時に、ネットに聞いたこともないような小さな日系旅行会社の求人広告が英語で出ていたんですよ。英語だからもしかしたらいけるかもと思い応募したら、案の定面接が決まったんです。

でも、社長本人から「明日その辺りでゴルフしてるから、その近所のスタバで会いましょう」って電話が来て、今だったら怪しいからそんな面接には行かないんですが、それで会ってみたら「もう後がないんだね。死ぬ気で働く?」と言われそこで仕事が決まりました。

編集部:見るからに怪しさがすごいですね。その会社は大丈夫だったんですか?

中島さん:死ぬほどブラックでした(笑)

編集部:やはりそうだったんですね(笑)

中島さん:24hours 7days仕事でしたね。それに営業だったんです。それまでは音楽と仕事を両立したかったので、自分の時間が取りにくくなる営業だけは避けていたのですが、四の五の言っていられなかったので。

編集部:それくらい後がなかったと。

中島さん:しかも、僕の営業エリアがシアトル、サンノゼ、ロサンゼルスの3拠点だったんです。そしてお客さんには、自分がそれぞれの地域に住んでいることにして、自分がいないところから呼び出しが来たら、「飛行機で次の日飛べ」と言われてましたね。

なので、携帯電話を3つ持って、その3拠点を飛び回る生活でした。しかも、その日の新規顧客開拓数によって泊まるホテルが決められたので、例えば、朝シアトルに着いて、夕方に結果報告したら「じゃあ今日は安いモーテルに泊まれ!」みたいなこともありましたね。

編集部:その日暮らし感がすごいですね。それは精神的、体力的に大丈夫だったんですか?

中島さん:きつくて、鬱になりかけちゃったから一時期カウンセリングに通っていた時期もありましたね。新規開拓で走り回ったシアトルはいまだにトラウマです。

あと、パワハラが激しい社長に対抗するために、夜中の3時に社長に「緊急の相談っす!」という電話をかけて起こすという嫌がらせをやった事もありました。まあ、病んでますよね(笑)

編集部:それほど追い込まれていたんですね。

中島さん:カウンセリングでは、案の定「それはもう完全にやばいです」と言われたんですが、それでもその状態で半年くらい過ごしました。さすがに良くないとは思いつつも、やっと見つかった仕事を逃げ出す形で辞めるのが嫌だったんですよ。

だから、ちゃんとやった上でもっと良い条件の仕事が見つかったら、気持ちよく出ようと思い頑張ったんです。

食品卸売企業へ / COOの頭角を現す

編集部:その後、新しい会社は見つかったんですか?

中島さん:ある時、日本食の卸の会社で事務職募集という広告を見つけて、さすがに大きい会社だし大丈夫だろうと面接を受けにいったら、旅行会社で揉まれながら営業しまくっていたおかげか即採用でした。

編集部:もうネガティブなオーラは消えていたわけですね。

中島さん:でも、事務職だったので仕事内容はデータを打ち込んだり、書類を番号順に並び替えたり、棚の整理をしたりという雑用だったんです。

ただ、だからといって「つまらない仕事だ」とは言わずに、その状況の中で「自分は何ができるか」をすごく考えるようにしてましたね。

だから、当時32、33歳でその会社のサンフランシスコ支店で社員75人中75番目という下っ端からのスタートだったんですが、とにかく周りが嫌がることを率先して引き受けてました。

編集部:みんなが嫌がることですか?

中島さん:それはみんなが嫌だ、無理だという環境にこそ勝機があるからです。だって、そもそも愚痴や文句はマイナスから始まっているから、その理由や原因って明白なんですよ。そこを改善してゼロにするって面倒なことではあるけど、そんなに大変なことではなかったんです。

そういうのを率先してやっていくうちに、皆喜んでくれるし、自分も色々な物事が見え始めてきて、段々と昇格していったんです。

編集部:そこで自分のバリューを発揮していったわけですね。

中島さん:そして、ちょうど会社がERP導入で社内システムを全部変えなくてはいけなかったので、ボトルネックだと思っていたものを全部直していたらマネージャーに昇進して、気付くと僕を採用してくれた人とも立場が入れ替わってたんです。

部下も50人くらいついて、最終的には倉庫管理とオフィスのオペレーション全てが僕の管轄になってましたね。

編集部:すごい大逆転劇ですね。

中島さん:その時は産業用コンプレッサーやパレットジャックも操作出来るようになってましたし、州のオゾン環境基準や消防法、輸入、通関、食品検査とかも余裕でクリアできるレベルになってました。

通常業務以外にも、床・壁の張り替え、セキュリティ用フェンスや野外ベンチの設置、あとは家庭菜園とかまでやってた気がします。

食品卸時代に愛してやまなかったコンプレッサー

編集部:COOとしての頭角が現れ始めましたね!

中島さん:とは言え、国も言語も考え方も違う集団をまとめるのはかなり大変で、特に倉庫の朝は早くて、朝6時に出社してドライバーが全員揃っているかを確認。一人でも欠けていれば、すぐに臨時のドライバーを手配するという慢性的な人手不足に悩まされてましたね。

ドライバー以外の仕事も人員がギリギリだったので、一人でも欠ければ臨時スタッフの手配が必須で、でも当日の手配で見つかるなんて稀で。あとは臨時のドライバーが道に迷って配送出来ずに夜中に帰ってくるなんてこともザラでしたね。

ただ、ストレスで胃潰瘍になったり、頑張っていたドライバーが事故を起こして急遽解雇せざるを得なくなったりというのは辛かったですね。一番好きで楽しかったのは80,000 Sq Ftの倉庫での$6M USD(およそ6億円)分の棚卸しでした(笑)

編集部:本当になんでもやってたんですね。

中島さん:従業員のみんなとも信頼関係を築きながら頑張っていたので、もともと離職率が高い職場だったのに誰も辞めなくなりましたし、すごくやりがいはありましたね。

仕事の傍ら勿論現役でライブ活動も(右上に中島さん)

Fujisoft Americaとの出会い

編集部:そんな中、Fujisoft Americaに転職したのはどういう経緯だったんですか?

中島さん:ちょうど富士ソフトがアメリカに子会社を法人登記して、アメリカでオペレーションが回せる人を探していたんです。前職の食品卸の同僚が人材紹介会社に転職していて、その情報を入手して紹介してくれたんですよ。そして、当時のFujisoft AmericaのCEOと会うことができ、採用されたという感じです。

編集部:50人も部下がいて、キャリアとしても安定してきている中で、また立ち上げをやろうと思った決め手は何だったんですか?

中島さん:やっぱり立ち上げが好きなんですよね。あと、やはりシリコンバレーなのでIT産業にいきたいという想いもありました。

Fujisoft AmericaのHP

倉庫の運営もオフィスのオペレーションもものすごくやりがいはあったんですが、最後の方は僕が行かなくても回る状態でしたし、そこで身に付けたビジネスのスキルや物の見方はどの業界でも通用するんじゃないかという仮説も持っていたので。

編集部:新たな立ち上げを通して、自分の仮説を試してみたかったと。

中島さん:加えて、ITだけのエンジニアさんだったら、お客さんの倉庫の話は全くわからないと思うのですが、僕は実際に現場でがっつり働いていたので、物流のお客さんが何に対して本質的な課題を持っているのか分かるんですよね。

それは物流だけに限らず、旅行会社、スタートアップ、研ぎ師、お寿司屋さん全てに当てはまるんです。だから、周りからは繋がってないように見えても、僕の中では全部が繋がっていて、過去の経験全てが活きているんです。

編集部:そのユニークさが中島さんの強みでもありますよね。

中島さん:僕は普通の人より世の中に出たのが10年くらい遅かったのですが、この10年間の経験を活かすも殺すも自分次第だと思ってます。だからこそ、あのとき感じたことや経験したことが、今あるビジネスにうまく昇華できているのかなと思いますね。

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