本日のゲストは、ビッグデータの解析ソフトを提供する『Splunk』にてソフトウェアエンジニアを務める酒井潤さんです。
学生時代はサッカー学生日本代表としてU21の東アジア競技大会で金メダルを取得するほどの腕前を持っていたという酒井さんが、なぜエンジニアに転身し、ハワイで起業したのか。その裏に秘められたジーコ監督の教えとは何か。エンジニア・投資家・サッカー選手という3つの顔を併せ持つ男の『超戦略的生存戦略』に迫る!
▼本記事の内容
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・アメリカで4番目に給与が高い会社「Splunk」
・サッカー学生日本代表からエンジニアに転身
・英語より大事な専門スキル
・流行りはIPOホッパー
・「投資・IT・サッカー」という3つの顔
・メッセージ / ジーコ監督の教え
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酒井 潤 (Jun Sakai):
1998年同志社大学神学部にサッカー推薦で入学し、在学中は大学日本代表に選出。2001年U21の東アジア競技大会で金メダルを取得。卒業後、北陸先端大の情報科学専攻で修士号を取得。NTTドコモ、ハワイでの起業を経て、米国のスタートアップに転職するもリーマンショックで倒産。その後、米国NTTi3を経て、2012年より米国Splunk, Incに勤務。仕事の傍らYouTubeでサッカー、Udemyで投資とプログラミングの講師を務める。複数書籍を出版している。
アメリカで4番目に給与が高い会社?
編集部:今Splunkではどういったことをされているんですか?
酒井さん:PythonやGoといったプログラミング言語を使って、クラウド上で提供している製品のバックエンドの開発をしています。お客さんがSplunkの製品を使う際、特有のセッティングをしたいというケースが多いので、どんなお客さんでも対応できるようにバックエンドをカスタマイズしてる感じです。
Splunkはビックデータ解析用ソフトを提供している
編集部:扱う物がビックデータだと、やはりお客さんは大企業が多いんですか?
酒井さん:そうですね。ただ、Splunkのライセンスは小さい企業から大企業用まであって、利用プランも幅広くあるので、それこそスタートアップのような小さい企業からカリフォルニア州、NASDAQとかにも使われてますよ。どう使ってるかは分からないですが(笑)
編集部:めちゃくちゃ気になりますね(笑) やはり、そういった様々な企業を相手に仕事をしているとやりがいも大きいのかなと思うのですが、どういうところにやりがいを感じますか?
酒井さん:やっぱり世界中のお客さんが使っているものを開発できるというのは大きなやりがいですね。あと、日本だとあまり知られてないと思うんですが、Splunkはアメリカで4番目に給料が高い会社で、Google、Amazon、Facebookとかよりも給料が高いんです。
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編集部:え、そんなにですか?
酒井さん:ビックデータのようなホットな産業の会社が上場すると、色んな人が株を買ってくれるのでかなり資金が潤沢なんですよね。それでエンジニアとかにもたくさんお金をくれるので、それを知ってるエンジニアが世界中から集ってくるんです。
なので、GoogleとかAmazonから転職して来る人とか、ロシアのハッカーみたいな人も来るので、そういった人達と一緒に開発ができるのはやりがいでもあり、面白いところでもありますね。
編集部:すごい人たちですね(笑) やはりアメリカだと、儲かった分は社員に還元するという風土があるんですか?
酒井さん:そうですね。ただ、これはAmazonも同じですが、Splunkも赤字だったり赤字じゃなかったりを結構さまようんです。
それでも社員にお金を払って、広告にお金を使うというのは、目先の利益よりもマーケットの拡大を優先しているからで、そのあたりはアメリカ的なところですね。日本だと何かのために取っておくというケースも多いので。
編集部:たしかに、日本は企業の内部留保がすごい額になっていると聞きます。ちなみに、Splunkは日本にも拠点がありますが、日本とのやり取りはあるんですか?
酒井さん:私は直接担当してないですが、時々日本側から製品のバグに関する報告があるので、そういった場合はコミュニケーションをとって仕事をすることもあります。
編集部:そういった交流はあるんですね。
Splunkのオフィスは、PinterestやAirbnbといった
ユニコーン企業が立ち並ぶBrannan通り沿いにある。
U21 東アジア競技大会で金メダル
編集部:たしか大学時代はサッカーをされていたんでしたっけ?
酒井さん:そうですね。キリスト教ではないんですが、同志社大学の神学部にサッカー推薦で入って、本当にサッカーだけをやってました(笑) 在学中は大学日本代表に選抜されて、2001年のU21の東アジア競技大会では金メダルを取りました。
学生日本代表として活躍した酒井さん (動画はこちら)
編集部:ええ!?やばくないですか?(笑) プロからのオファーはなかったんですか?
酒井さん:プロのオファーも頂いたんですけど、左膝の靭帯を傷めてしまってパフォーマンスが落ちたんですよ。なので、その状態でプロになってもあまり活躍できないのかなと思い他の道に切り替えました。
編集部:でも、それまで「サッカーのプロになる」という夢に向かってやっていたわけじゃないですか。そんなに簡単に切り替えられたんですか?
酒井さん:意外と諦めはつきましたけどね。やっぱり、人の幸せというか、、、例えば、震災などの災害で亡くなられた方って、別に悪いことをしたわけではなく、ただそこにいただけで亡くなったわけじゃないですか。
あと、国際大会に行った時に、インドの寺院に捨てられた子供とかお金がなくて処置ができずに亡くなっていく方々を見てきたわけですよ。
そういった方々と比べれば、自分がサッカーを出来なくなることなんて本当にちっぽけだなって。むしろ、生きてるだけで儲けものっていう感じでしたね。逆にそういう経験がなかったら、悔しくて切り替えも遅くなっていたかもしれません。
編集部:選手ではなくコーチになるという選択肢もあったと思うんですが、そこは選ばなかったんですか?
酒井さん:もちろん、初めはサッカーで食べていきたいと思っていたんですよ。でも、色々調べてみるとサッカーのコーチで食べていくのはかなり大変だと知って…
編集部:そこは現実的な問題があったわけですね。
酒井さん:自分ひとりだけなら良いんですけど、家族や子どもを持った時に辛い思いをさせるかなって。なので、世の中結構厳しくて、自分のやりたいことでお金を儲けることができないこともあるんです。