シリコンバレーから世界中で使われるプロダクトをリリースし続けるPMが語る #プロダクトマネージャーの真髄

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文系からエンジニアになった経緯

編集部:では、過去の話に移りたいのですが、もともとは中央大学の総合政策学部出身じゃないですか。でも新卒ではCiscoのエンジニアになってますよね。これは何があったんですか?

曽根原さん:総合政策学部という学部ではあったんですが、メインでやっていたのは国際関係学だったんです。だから、それもあって最初はエンジニアではなく、むしろ外交官とか国際公務員を目指してたんです。でも、その試験に失敗しちゃって…

それでどうしようかと考えていたときに、僕サッカーが大好きなんですけど、僕とほぼ同じ世代に中田英寿がいて、彼がイタリアのペルージャというセリアAのクラブに移籍したんですね。

そして、彼はデビュー戦で2ゴール叩き出したんですよ。これはサッカーファンにとって衝撃的なんです、本当に。あのカズでさえシーズン通して1ゴールしかできなかったのに、中田は1試合目から2ゴール叩き出したと。

それをやってのけたというのが、当時の僕には物凄く衝撃的で、めちゃくちゃカッコいいなと思ったんです。それがスキルを身に着けて世界で勝負するというスタイルに目覚めた瞬間でしたね。

でも、僕はサッカーの世界には行けないので、何か違う分野で同じことが出来ないかと考えて辿り着いたのがITの世界だったんです。それで、ITで世界と勝負するならエンジニアが一番良いかなと思い、そっちにピボットしたわけです。

編集部:ただ、実際エンジニアになるためにはかなり勉強が必要じゃないですか。苦労とかはなかったんですか?

曽根原さん:今でこそ笑い話ですが、当時はIPアドレスのアの字も知らなかったんです。なのにCiscoに入ってますから、本当に良く入れたなって思います(笑)

編集部:気合で入ったということですか?

曽根原さん:もちろん色々と準備はしてベストな状態で臨みましたが、結果的には縁があったという感じですね。とはいうものの、大学時代に情報処理数学という分野が合って、統計学とかは勉強してたんですけどね。

あと、『Mathematica』という数式の結果をビジュアライズしてくれるパソコンのソフトがあって、それをやってたので知識がゼロではなかったんです。

編集部:ベーシックなところは勉強していたと。

曽根原さん:ある程度ですけどね。2001年当時はインターネットがちょうど出始めて、Yahoo! JAPAN、Sun Microsystems、Oracle、Ciscoといったシリコンバレーの企業が彗星のごとく日本に現れたんですよ。それで、なんか面白そうだなという感じで。

もちろんめちゃくちゃ勉強しましたし、それ以前に自分で腕を磨いて世界で戦いたいっていう気持ちは強かったので、大変でしたけどなんとかやりきりましたね。

編集部:自分の目標が明確だったから、辛くはなかったわけですね。

シリコンバレーに来た経緯

編集部:その後、Juniper Networksに転職されて、シリコンバレーに来たんですか?

曽根原さん:実はCiscoとJuniper Networksの間に1つあって、あるシリコンバレーのスタートアップが日本でオフィスを作るという話がたまたまヘッドハンター経由で僕のところに来て、僕はその技術周りの社員として入ったんです。

それで、当時僕の直属の上司は日本法人の社長だったんですが、SEとしてのレポートラインはシリコンバレーにあって、僕は彼に対して常々シリコンバレーに行きたいとアピールしてたんですよ。

でも、彼は「まだうちはスタートアップだからお金ないよ」とか言われてて。いわゆる「こっちに来たいなら、その分稼げや」という話なんですが(笑)

そんなこんなでビジネスも伸びて、そのスタートアップがJuniper Networksに買収されて、ある日僕の上司だった人が僕のことを覚えててくれて「Haruki、ポジション空いたぞ」みたいな連絡をくれて。

それはグローバルテックサポート部隊だったんですけど、とっかかりは何でもいいと思っていたのと、まずは行くことが大事だと思っていたので渡米を決断しました。

編集部:ビザもサポートしてもらったんですか?

曽根原さん:そうですね。ビザも会社にサポートしてもらって。

英語は大丈夫だったの?

編集部:来てから英語は大丈夫だったんですか?

曽根原さん:英語に関しては全く問題がなかったわけではないですが、体で覚えていったという感じですかね。面白いのが、アメリカに来た初日に上司から「君が入るポジションの前の人は英語が下手でクビになったから」と言われて、いきなり釘を刺されましたね。まあ、これは最初のご挨拶だと思って何とかやりきりましたが。

編集部:じゃあ、来る前から英語の勉強はされてたんですか?

曽根原さん:個人的に英語は割と好きな言語だったので、色々と勉強はしてました。英会話スクールに通ったり、海外旅行で現地の人と積極的に会話したり。ただ、リアルなビジネスの場で自分の英語が通用するのかというところは未知数だったので、そこはなんとかやりきったという感じですね。

編集部:ちょっとずつブラッシュアップしていったわけですね。

PMになるまでの苦労

編集部:他にこちらで苦労したことなどありますか?

曽根原さん:最初に移ったポジションは今まで僕がやっていたテクノロジーの領域だったので、技術的に大きな変化はなかったんですが、一番大変だったのはやっぱりPMに移るときでしたね。

編集部:というと?

曽根原さん:カスタマーサポートの人間がPMになろうとするとかなり大きなジャンプなんですよ。求められるスキルセットがだいぶ違うので。だから、僕はその間にテクニカルマーケティングというポジションを挟んでPMになったんです。

でも、そもそもそんなポジションがあるなんて最初は知らなかったですし、どんな経路でPMになったらいいかも分からなかったので、結構大変でしたね。

編集部:それは人に聞いたり、ネットで調べたりしたんですか?

曽根原さん:社内にいるPMとか色んなPMの人に相談して、どんな経路で行ったらいいかを見極めていった感じですね。ただ、その経路を取ったからといって必ずしもPMになれる訳ではなかったので、ある意味賭けではあったんですが。

編集部:そこはタイミングや運もありますよね。

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SiliconValleyWorkers編集長。愛媛県松山市出身。2016年、東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻(相田研)修了。工学修士。現在はシリコンバレーのIT企業で仕事中。座右の銘:「現状維持は衰退のもと」

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