「多くの人に教育の場を届けたい」- 就職、起業、MBAを経てたどり着いたのはUdemy

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中3でNYへ / 自分のIdentityとは

編集部:では、過去の話に移りたいのですが、渡米したきっかけは何だったんですか?

Hajさん:中学3年生の時に父がニューヨークに転勤になって、それで家族で渡米したのがきっかけですね。

でも、中学校を卒業したら、普通に高校に行って、大学に行くイメージしかなかったので、いきなりアメリカに行くと言われたときはものすごくショックでした。

父的には、新しい機会ということで僕に喜んでもらえると思っていたらしいんですが、実はそうではなくて、最後の最後まで揉めましたね。

編集部:たしかに、友達とかも日本にいますもんね。じゃあ、それでいきなりアメリカに来て、英語とかは大丈夫だったんですか?

Hajさん:めちゃくちゃ困りましたよ。全然喋れないし、日本でも英語は赤点とかだったので。

編集部:では、こちらに来てから英語を必死に勉強したんですか?

Hajさん:それがしてないんですよ。

編集部:え、してないんですか?

Hajさん:1990年に渡米したんですが、90年代の初めって日本から駐在員としてアメリカに飛ばされる方がすごく多かったんです。しかも、駐在の場合は任期が3年とかなので、自分もそんなものだろうと思って日本人とばかりつるんでましたね。

なので、一応現地校には行ったんですが、最初の2年間は日本から航空便で送られてくる少年ジャンプをみんなで回し読みしたり、日本の連ドラを見たりという感じで、全然英語を勉強しなかったんです。

編集部:たしかに当時はMBAの学生も含めて日本人ばかりだったと聞いたことがあります。逆に、そこからアメリカに残ろうと思ったのはなぜだったんですか?

Hajさん:渡米して2年が経った時に、英語が一言も喋れない自分がいて、しかもアメリカ人の友達も一人もいなくて、正直自分が情けないなって思ったんです。

それで、これはまずいということで、まずはアメリカ人の友達を作らなきゃと意欲的に友達を作ったり、高校の生徒会に潜り込んだりと色んなことをやりましたね。

編集部:では、自分を変えるために行動の幅を広げていったと。

Hajさん:そうそう。最終的には、高校創立以来、初めてのアメリカ人以外の生徒会長にもなりました。

編集部:え、そうなんですか?アメリカ人の友達がいなかったところからのギャップがすごいですね!

Hajさん:その時も英語が喋れたかどうかは定かではないんですけどね(笑) それで、高校を卒業してこっちの大学に入ったんですが、大学では日系人という形で溶け込んで徹底的に日本語を絶対喋らないと決めたんです。

基本的に自分は極端な人間なので、そうやって現地の人たちと交流して、大学でもあえて日本人が少ないであろうフェンシング部に入ったりして…

編集部:じゃあ本当に日本人のコミュニティからは真逆のところにいたと。

Hajさん:だから、自分の中で「日本人でいたかった自分」と「日本人を拒否する自分」というアイデンティティクライシスが何回もあったんです。

20年くらい経ってやっと日本人とかアメリカ人という概念の先に、「自分」というアイデンティティを受け入れられるようになりましたね。まあ、それでも未だにアイデンティティクライシスはあるんですけどね(笑)

卒業、就職、起業、MBA

編集部:その後、1994年に大学に入学されていますが、なぜコンピューターサイエンスを専攻されたんですか?

Hajさん:高校2年生が終わった夏休みにサマーキャンプに行って、そのとき初めてコーディングをさせてもらえる機会があったんです。

自分がコーディングして作ったものがちゃんと動くというのがすごく楽しかったのと、仲良い友達にめちゃくちゃすごいプログラマーがいて、それでハマったんです。

編集部:それがきっかけだったわけですね。

Hajさん:それで、大学を卒業後、最初の5年間は英国のコンサルティング会社のアメリカ支部で、ITコンサル兼ソフトウェアエンジニアとして電話会社の請求書システムのインテグレーションをやりました。

当時のオフィスは505 Californiaにあってピークの時は30人くらい働いていたんですが、ちょうどその頃ドットコムバブルが弾けて結局3人になっちゃったんです。

編集部:え、10分の1になったんですか?

Hajさん:そう。なので肩書きもプロダクトマネージャー兼ソフトウェアエンジニア兼ITコンサル兼レセプショニストっていう、もう全部一人でやりましたね。

その会社にはグリーンカードを取ってもらったので、すごく感謝していたんですが、結局2003年にオフィスを閉めることになって、次どうしようかと思っていた時に、前のクライアントさんから「うちに来ない?」というお話をいただいて…

編集部:そこから次の仕事に繋がっていったと?

Hajさん:そうです。その後、ソフトバンクの2代前くらいの会社がVodafoneに買収された時に、電話システムのことが分かって、かつ、日本語が喋れる人を探しているとのことで、お声掛けいただいて…

でも、そのとき相手はVodafoneで、自分は個人だったので、何かあったらまずいということで会社を作ったんです。

編集部:そこで起業したわけですね。

Hajさん:そこからコンサルも含めて自分の会社を5年くらいやったんですが、当時、中国とインドが伸びて来ている時だったので、オーバーヘッドコストだけを見るとどうやっても敵わなかったんですよね。

当時、彼らのコストは自分の5分の1とかだったので、彼らとの違いを明確に出せなければバリューを発揮できないということで、「このままじゃ生き残れないかもしれない」なんて考えるようになって。

それで、「自分は人様のためになることをしながら飯が食いたい。それなら社会的起業家になるしかない。でも、そのためにはもう少し学ばなければいけない」ということでUniversity of San Francisco (USF)のMBAに行ったんです。

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SiliconValleyWorkers編集長。愛媛県松山市出身。2016年、東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻(相田研)修了。工学修士。現在はシリコンバレーのIT企業で仕事中。座右の銘:「現状維持は衰退のもと」

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